にちじょうの感想ノート

無職が日常で思ったことを呟く

最近の自分の変化

早いもので、前回のブログ投稿から2週間が経過していた。
相変わらず、週3回のバイトを続けている。
そして余暇は、読書や運動をしている。

サポステに行く頻度が減った。

最近は、あまり人のいる場所に行かなくなった。
以前は毎週2回ほど、サポートセンター関係の居場所に行っていたが、それもしなくなった。
行っても結局PCや書籍を用いて自習しているだけなので、やっていることは家と変わらない。

話の合う人がいない

しかも、あの場所には特に話したい人もいない。話が合う人がいないのだ。
利用者はゲームやアニメに関心を持ち時間の大半を使っている印象を持っているが、私はどちらもやらなくなった。
逆に私が読んでいるような本やPodcastYouTubeのコンテンツを消費する人もその中には見当たらない。

 

「サポステ利用者」として遇されることへの違和感

また、スタッフから「サポステ利用者」として接されるのも気持ちが悪い、と感じるようになった。
前職を辞めて無職になった出来事から自己肯定感が著しく下がり感覚が麻痺していたようだが、利用者に対する態度は一般の人に対して行えば「舐めている」と捉えられてもおかしくないようなものだ。
そもそも、自分で責任をとれないような「成熟」していない人が集まりやすい場所であることを踏まえれば、彼らの対応は間違っていないのかもしれない。

ただ私があの場所に合うような人間ではなくなってきたというだけの話である。
彼の場所を責めるつもりは特にないことを断っておきたい。

 

週3バイト生活というぬるま湯に慣れてしまった

また、最近の変化としては、バイト週3生活からダブルワークや正社員を目指そう、目指さなければならないという強迫観念のような考えが薄まってきた。
なんだかわからないが疲れたし、面倒になってきた。すでに週3の一日労働をするだけで十分疲れている、これ以上肉体的ないし精神的に疲弊するような営みは御免被りたいと感じるようになった。


先のことを考えない人間

将来はどうするんだという質問(詰問)が自分の中で頭をもたげることもあるが、そこに関しては特に具体的な解決案は持っていない。


ところで、最近『スタンフォードの自分を変える教室』という自己啓発本を読んだ。

そこでは、人間が将来のリスクに対して楽観的に捉える傾向があることが紹介されていた。
私もご多分に漏れず、その傾向を大いに有しているようである。
とても残念なことだ。

せっかく立派な本を読んでも、何も行動を変えないのならば、何も読まない場合と結果は大差ないのかもしれない。
そうは思っても、読んで知ることで充足感を得られるのでまたそのような本を読むのであるが。

 

人と話さずに本ばかり読んでいたためか、文体が昔の本のようになってしまった。
他に書くこともないのでここで筆を置く。