にちじょうの感想ノート

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【読書記録2023】『ひきこもりはなぜ「治る」のか』(著:齋藤環)

読書については、他の人が『ひきこもりはなぜ「治る」のか』(著:齋藤環)を読んでいるのを見て、私も読んでみました。

著者はすでに臨床で役立つ系の本をたくさん出版していて、この本はその背後にある理論をつまびらかにしたものだということです。

ラカン(第2章)、コフート(第3章)、クライン、ビオン(第4章)といった精神分析家の理論が持ち出されていました。これを著者は応用しているらしいです。

まず、ラカンの章について書きます。

ラカンの理論に照らしてみるとひきこもりには自己愛が足りてないらしいです。自分に向かう自己愛として自信やプライドを著者は引き合いに出してました。ひきこもりはこういった自己肯定感を持つのが状況的に難しいらしいです。まぁ、そりゃそうですよね。

社会活動をしていくためには欲望が必要であると言った旨のことを著者は述べており、そこでラカンの「欲望は他人の欲望である」という言葉が引き合いに出されていました。他者とかかわらないうちは「働かなきゃ」とか言ってても、それが本当に自分の欲望なのか義務感なのかはっきりせず、それゆえに身動きが取れない。第3者と会って、欲望・原動力を抱くのが大事だよ的なことが書いてあった気がします。

 

次にコフートの章について

ここでは人間の成熟過程について中心的に書かれていました。

コフートは「人間の一生」を「自己愛の成熟の過程」として捉えたといいます。専門用語のオンパレードで恐縮なんですが、「成熟」するためには「自己ー対象」との関係が大切になるといいます。ここで言われる「自己ー対象」は、「自己の一部として感じられるような対象」をさすとのことです。たとえば、こどもにとっての母親のようなものらしいです。

コフートは発達のプロセスを以下のように定義したと言います。

「実質上の自己」⇒「中核自己」期⇒「融和した自己」期

それぞれについて書いていきます。

「実質上の自己」

「母親が新生児をみつめて接触をもった瞬間から、自己の発達が始まる」という段階

virtual selfの訳語

自己未満だけど、自己とほぼ同等のもの、と言う意味。芽生えたての自我みたいなものですかね。

「中核自己」

「実質上の自己」は「自己―対象」である母親との交流を通じて、次の段階である「中核自己」の構造を作り上げていくという。

その内実を著者は以下のように説明する。

最初、一番原始的で単純な構造の自己が、対象との関係によってだんだんと複雑な構造を獲得していきます。

「実質上の自己」とは「一番原始的で単純な構造」らしい。その「構造」は変形されるもので、「複雑」化していくものであるということだ。

上記引用箇所に続けて、「中核自己」へ至るプロセスを著者は以下のように綴る。

こうして、より洗練された形になった自己を、「中核自己」といいます。(p. 88)

中核自己の構造についてもう少し。

「中核自己」は「向上心、野心」と「理想」の2極を有する「単純な構造」であるという。

「この二つの極の間の緊張関係」によって「発達が起こ」るという。

二つの極を持つことから「双極自己(bipolar self)」ともよばれる。

「自己が構造を獲得し始める最初の段階」である。

融和した自己

さまざまな「自己―対象」を取り込んで、つまり「変容性内在化」することによって構造が安定化してくるという。この「安定した状態」を「融和した自己」と呼ぶという。(p. 96)。

ここでいうさまざまな「自己―対象」とは、子供の時に自分を承認してくれる母親(「鏡自己―対象」)であったり、「子どもの中にある理想的な親、スーパーマンのように万能な親」(「理想化自己―対象」)、「友人関係」(「双子自己―対象」)などを指します。そういった諸々の関係の中から色々学んで人は大人になっていくんだよ、と言っていると私は受け取りました。

クライン

口唇期

この時期の「人間関係」は「お母さんの乳房が唯一の対象」であるという。

クラインは「対象の概念をいっそう拡張し」、「無意識の中のイメージ」や「幻想」も含めて対象としてみなしたという。

「子どもの対象世界の特徴」として、「自分を叱るお母さんは悪い人」、「自分におっぱいをくれるお母さんは良い人」、というように「この二人は別々の人」と認識されることがあるという。

「いいおっぱいが出てきたときは良いボクを出す、悪いおっぱいのときは悪いボクを出す」。この時期のことを「妄想―分裂態勢」とクラインは呼んだ。

「投影性同一視(Projective Identification)」。自分に自責の念があると、相手が自分に対して瞋恚を持っているのではないかと感ずるようなこと。

また自分の中に怒りが湧いたとき、それを否認して、他人の感情であるとして押し付けるようなメカニズムがあるということも書かれていました。まとまっていなので、まとめたいですが、本は図書館にすでに返してしまいました汗。

ビオンについて

ビオンは集団というものを「それ自体が一つの実体をもった存在」であり、「単なる個々のメンバーの心理集合体ではない」ことを強調したという(p. 124)。

「集団というのは一つの心をもっている」というのがビオンの考えだという。何人からが「集団」となるんでしょうかね?3人かな?

集団も個人同様に対抗するとビオンは考えたという。この視点は結構面白いなと思いました。

この後の章では著者の考えが展開されていますが、メモを取ってたのは小難しい上記4章までなのでそこまでを書くことにします。